PTG(Posttraumatic Growth)と わたしのいのり
時に生活の中で、自分自身が「いのり」モードに入る時がある。
「性暴力 その後を生きる」(NPO法人レジリエンス 中島幸子著)という冊子を読ませて頂いた時もそうだった。大きな気持ちの動きを感じ、開放し、「いのり」の時の様に、自分の気持ちを主にささげながら読みすすめた。
そのはじめの部分で「性暴力とは命に近いところまで達する暴力」で「体の芯に、目には見えないけれど、生命にかかわる人間のコアとも呼べるようなところがあり、性暴力による攻撃はそのコアにまで達してしまい生きる力の源を傷つけてしまいます。そこにダメージを与えることで、加害者は被害者をより支配しやすくなります。」と書かれていた。
また、「学術的なことではないが、マズローの欲求段階説をかりて、著者なりの考えを述べる」として、「性暴力を何度も経験したものから見ると、一番下の層の下、ピラミッドの地下の下の層が破壊され、生きるための食べ物をとったり、体を健康に保つといった生理的欲求に属するはずのことがどうでもよくなってしまうといった感覚になることがある」と書かれていた。
その後、「性暴力に対する社会通念のゆがみ」「サポートの実際」「トラウマの脳に与える影響」などについて、生きたことばによる説明があり最後に「PTG(トラウマ後成長)」で締めくくられていた。
わたしの大きな気持ちの動きの理由は2つ。
ひとつは、著者の真正さ、エネルギー。
二つ目は、「わかる」という感覚。
ダメージを受けた方や、自分自身の中でダメージを受けた部分に触れるとき、私はイエスと一緒でなければ失敗してしまう。もちろん、たくさんの知識、技術、努力も必要であるが、私の場合はイエスに傍らにいてもらわなければ遂行できない。
「おわりに」に著者のPTGがまとめられていたと思う。「著者の話が誰かの役に立つと感じてもらえる瞬間があるとすればそういう瞬間を増やしていきたい。それは人のためというだけでなく、私の経験したことがまったく無駄ではなかったという瞬間が増えてほしいという気持ちも含まれています。」
著者に感謝したい。そしてともにいのりつづけたい。