いやしをもたらす秘跡
2016年6月17日 | CATEGORY - 祈り
聖体祭儀はわたしたちを和解した共同体、また和解をもたらす共同体とする。これは、わたしたちが常に回心の姿勢でいることを要求する。それによってわたしたちは、個人的、共同体的反省を通して、ゆるしの秘跡をしばしば受けるように促される。この秘跡において、わたしたちは神のあわれみ深い愛を体験する。すなわち、わたしたちは赦され、教会のゆるしに開かれ、また兄弟たちのために開かれた新しい被造物となる。(会憲51)
「ゆるしの秘跡…回心とは罪を捨てて神に立ち帰ること、自分の生きる方向を神に向けなおすこと、自分の生きる姿勢、視点をイエス・キリストの姿勢・視点に転換することです。」(「カトリック教会の教え」カトリック中央協議会)
今日は私たちの共同体へ「ゆるしの秘跡」のために神父様がいらしてくださいました。毎月1回のこの時を、そして神父さんとの再会を、みんなとても楽しみにしています。
修錬期に私は、ある神父さんから「ゆるしの秘跡」について次のようにアドヴァイス頂きました。「使徒パウロのコリントの信徒への手紙一の13章の「愛の定義」と自分の生活を照らし合わせてみたら・・・」
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを望み、すべてに耐える。」(Ⅰコリント13・8)
今日、ゆるしの秘跡の準備をしていたら、すべてが自分の弱さにつながりました。そこにゆるしといやしをいただけるように願い、この小さな回心がうねりとなって世界を包むように祈りました。