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女性とともに -Hacer-

未来に向かって~礼拝会母子生活支援施設カサ・デ・サンタマリアの25年~

2021年12月19日 | CATEGORY - 女性とともに

初めに

Casa de Santa María は1996年に創立。そして今年25周年を祝った。

 

経緯

Casa de Santa Maríaとは、社会福祉の中で、母子生活支援施設と言われる。今年3月31日に閉鎖したミカエラ寮の実践の中で、生まれてきた会員の夢であった。そこに行政からのオーファーが来て、夢は少し違う形であったが実現した。私たちの夢は、日々出会う少女たちの体験の中から生まれた。10代で妊娠した女性が、誰にも相談できないままに新しい命をこの世に生み出して、一旦はミカエラ寮、casa de pronto acogidaに短期間入ってくる。ただ3か月という短いスパンが終わると、次の施設へと引っ越し、結局母子が一緒に生活することが困難で、私たちは母と子が別れるという事態に心を痛めた。子供は児童養護施設へ、母親は女性の施設へと行くのだが、結局女性は行方不明となることが時折起きた。だからこそシェルターの次のステップとして母子寮を作り、その人が自分自身をゆっくり癒し、解放してゆくプロセスを作りたかった。

母子寮の成り立ち

歴史の中で、母子寮は、第2次世界大戦で夫を失った女性と子どもを受け入れることを目的として始まった。家はなく食料もない母と子であった。その後約50年が過ぎて礼拝会はミカエラ寮での支援を更に充実させるために、1986年Casa de Santa Maríaを創立した。翌年1997年は法改正により、母子寮から母子生活支援施設へと名称が変わり、行うべき使命も変わった。自立することがゴールとなった。これは同伴の仕方も変わってきた。日常生活を送ることの自立、職業的自立、金銭的自立、子育ての自立などが課題が明確化し、増えた。

 

母子生活支援施設の説明

日本で社会福祉を実践しようとすると、社会福祉事業法という枠の中で行うことになる。Casa de Santa Maríaは児童福祉法のカテゴリーの中で誕生した。

そのプロジェクトの組織は対象者によって職員の役割は異なっている。

プロジェクトの中で、母親の支援を行うスタッフ

子どもへの支援を専門とするスタッフ。

乳幼児の育成に係わる職員

また25年間で出現した新たな事態に応えるため、アフターケア、外国人母子の支援を行う職員も増えた。

外部からの講師の助けで常にスタッフが現状を振り返り、より良い支援ができることを目指して、研修、スーパーヴィジョンを受けている。新たな問題にも取り組んできた。子供が受けてきた心の傷が癒されるように、様々な取り組みを行ってきた。また母親に対しても、人間としての成長ができるように支援してきた。それは、その対象者の回復、成長を確かなものにすべく、忍耐と責任と専門性を持って同伴してきたスタッフの記録から読み取れる。心の空白を埋めてあげることは出来ないが、同伴する。これが礼拝会で目指す解放の活動であったと思う。

25周年の記録出版

2021年Casa de Santa Maríaが25周年を迎え、今はdirectoraを退き、法人の理事長としてCasa de Santa Maríaに同伴し続けているhermanaによるインスピレーションが浮かんだ。「今までの軌跡を文字として残したい。しかし単なる歴史回顧物語にはしたくない。私たちは未来に向けて、多くの人に問題提起をする役目がある。」と。

問題提起の発端は、日本に存在する母子生活支援施設224施設のうち111施設が暫定定員となっている。休止状態の施設もあるが、本来の定員を満たしている施設数は全国の224施設のうち、45%、102施設である。Casa de Santa Maríaはスタッフ全員の努力で毎年定員を満たしている。定員をキープするか、9割を割るかを問題視するのは、次の年の措置費が減少するからである。雇用される職員数は変わらない、維持する建物も減るわけではない。しかし利用者が減って、9割を割れば、次の年は今年いた家族の数を反映した措置費しか入らない。この仕組みに施設は大いに苦しむわけである。

ただ利用者の数から来る措置費の減少、経営の困難が最大の問題ではないことにスタッフは気づいている。彼らは、その根底に母子生活支援施設の在り方と社会とのズレが起きていることを察知している。

現実とのズレ1

例えば、行政はDVの被害者で、離婚調停を進めている女性に対して、携帯電話を持つことの危険性を理由に禁止している。これは当然かもしれないが、それ以外の状況でも、スマホを使うことに関しては禁止が続く。もう少し柔軟な考え方を示すべきではないかと現状を知るスタッフは考えている。スマホが使えない生活で、就労のために社会資源を探すにも、また職場・学校などとの連絡にも不自由さが生まれる。しかし行政の主張は強い。「インターネットは危険です。」と議論は平行線をたどる。DVの被害にあった女性たちは、「スマホも使えない生活は送りたくない」と、母子生活支援施設に入ることを拒否する人もいる。ここに利用者減少の原因の一つがある。

現実とのズレ2

また現実とのズレについて、25周年の記念誌には、執筆してくださった教授の文章にいくつかの興味深い2つの言葉が出ている。先ず「母親規範」女性に「母親とはこうあるべき」と要求することである。母子生活支援施設は言うまでもなく、子供のための施設である。ただ他の児童養護施設と異なり、母親と一緒に利用できるメリットがある。デメリットは、こどもを育てる人が母親であることが求められる。しかし現実には母親になり切れない人もいる。また母親として成長する途上にある人もいる。母親である女性自身が子供として母親から愛情を注いでもらった体験に乏しい人が多くいる。私たちはその現実を受け止めることから女性への同伴が始まる。次に「フェミニストソーシャルワーク」がキーワードとして出てきた。ただ単にソーシャルワークを行うのではなく、フェミニズムの視点を持って女性を支援することである。レナ・ドミネリの著作の中にその原則が述べられているが、そのうちのいくつかは以下の通りである。フェミニストショーシャルワークの原則は「女性の多様性を認識する」「女性の力を尊重する」「女性は自分のどんな局面においても、自分自身で決める力を持つ行動的な主体であると考える」

わたしたちの目指す事、Juntas en camino

この原則は礼拝会が同伴しようとする女性に望み、支援することと重なってくる。母子生活支援施設が児童福祉の範疇にあっても、母親である人を人間として、女性として出会うことが私たちには求められている。そして自分自身を解放しながら、愛を受け取ってほしいと願っている。そのダイナミズムは私たちのカリスマの根幹をなしている。その宝をどのようにライコスに伝えていくかが礼拝会会員にとって大きな挑戦である。

 

 

 

 

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