少女たちのために…現場からのあふれ
親から虐待を受け続け、やっとの思いで施設にたどり着いても、その深い傷を抱えたまま、社会の荒波に入っていかなければならないこどもたちがいる。生活の中で外からのマイナス要素は取り除けても、自分の心に残った傷はそのままだ。状況によっては社会の中で再び搾取されていく可能性も高い。制度と現実にギャップがあると感じていた。
昨年末に子供シェルターの関係者の方から「東京で自立援助ホームまでのプロセスを検討している」というお話を伺っていた。「虐待を受けた少女の療養施設、都内に」(朝日新聞6/7)の記事を見て、それが今年3月にファミリーホーム(児童福祉法)という形で実現していたことを知った。そのファミリーホームでは心の傷を負った子供の療養が優先で、働くことを前提とせず、まずは外出、活動が出来るようになることを当面の目標とする。又地元の社協を通じボランティアを検討したり、地域の若者サポートステーションでパソコンや料理など自立や就労のための力を身に着ける事も想定しているとのこと。現場からマクロに流れた大きな力を感じ励まされた。
私が出会った16歳の少女は大変才能に恵まれ、美しく魅力的な女の子だった。しかし、小さいころから母親から鼻の骨を折られたり、花瓶で頭を殴られて救急車で運ばれたこともあったという。「自分は人とは違う。心に波風が吹いたとき、当たり前の心の状態にもどすのに普通の人よりだいぶ長い時間が必要だし、戻れない時も多い。そしてその状態は体に受けた傷と違って、外からは見えないからつらい。」と語ってくれたのが印象的だった。一緒に暮らした数か月、彼女から、今まで知らなかった「美」や「哀しみ」を教えていただいた。
彼女も途中で通学できなくなり、必然的に医療的ケア中心の生活になった。私はただ、傍らで祈らせていただいいていたことを思い出す。