わたしたちは身欠きにしん
今年は、玄関先の蓮の花がつぎつぎと咲きました。
フワッと大きく開いた淡いピンクの花は、「清楚」という言葉そのもので、見る者の心を奪い、清め、しなやかな心にかえるようでした。花言葉は「清らかな心」「神聖」「雄弁」などです。この夏、暑い中訪れる方々は一様に、「心が洗われ、癒される」とおっしゃいます。
先日、近所のお寺のポスターの「蓮を育ててみませんか」という言葉に心惹かれて、石段を上がり、住職様から根(蓮根)と手引書だけでなく、立派な水鉢や肥料を頂きました。直々のご助言を大切にしたことに応えるかのように7本もの花を咲かせてくれました。沼では汚い泥ほどきれいに咲くとも言われます。沼の泥は、そこに生きていた魚や昆虫、植物などの命が還ったもので、強力なエネルギーを蓄えています。水鉢で育てる場合は、鉢の一番下に「身欠き鰊(住職様の経験から)」を並べて用土で被い、その上に蓮根を置き、また用土をかぶせ、水を張ります。蓮の食べ物となる身欠き鰊に土をかける時は、何かしらうやうやしい気持ちになるのです。
地球の汚染、戦争や紛争、独裁、テロ、経済的格差、SNSの悪影響、自己中心的な犯罪、人権無視、いじめ、DV、家庭内暴力等が満ちて、命を育てるエネルギーをもたない汚れた沼にも似た世界に私たちは生きています。そこで困難を抱え、傷つき、居場所を失った方々の受け入れ先が私たちの現場です。
こちらは今年、利用者6ケース10人で始まりました。小学校入学となる子どもさんがいましたが、「まず身の安全を守る」という行政の福祉担当者のご意向で入学式にはおろか、5月の連休明けまで学校にも行けず、人生最初の学校生活のスタートを切ることができませんでした。せめてもと私たちが用意したスーツを着て、公園の桜の下で写真を撮りました。その後0歳児同伴の若年母子や出産後退院先として入所された若いお母さんと新生児、障がいがある高齢者で車上生活をしていた方、DV被害者、親と関係が悪くて虐待される若年女子、詐欺にあってしまった人、国籍の課題がある人たちが入所されました。
小さな子どもたち、赤ちゃんとお母さん、少女、女性、高齢の方も、今からその人だけの大きくてきれいな人生の花を咲かせて頂きたいのです。この方々のための身欠き鰊・・・それは幸せを願い、その成長を信じる心、時と空間を共有する中での血の通った関わり、おいしい食事、具体的な支援、赤ちゃんや子どもへの愛情をかけたお世話などではないでしょうか。
私たちも、身欠き鰊の一片になりたいと思っています。