イエスのみこころ 誓願更新
神のいつくしみによって、今年も誓願を無事更新する事ができました。
「わたしは神の呼びかけに応えて、神の栄光と賛美のため、礼拝の生活のうちに私自身を主に奉献し、又、聖体と愛徳のはしため礼拝修道女としての使徒活動において、神の愛と慈しみのあかしになることを約束します。兄弟のみなさんの前で、本修道会においてその会憲に従い、貞潔、清貧、従順の誓願を更新します。父よ、聖霊の恵みによって、御子との交わりにうちにわたしのささげものをお受けください。聖母マリアと聖マリアミカエラの助けによってわたしが約束に忠実である恵みをお与えください。」(礼拝会 誓願文)
毎日読んでいても、毎年心がふるえます。
私自身は大学生の時に、洗礼を受け、働いていた地元で礼拝会に出会いました。当時私は事件事故などの記事を書く仕事をしていたのですが、事件に巻き込まれていく女性たちについて取材し書いている最中、その様な女性たちと寝食を共にして家族のように生きている70代の礼拝会のシスターたちの生き方に触れ、心の中に、驚きと感動が芽生えたことを覚えています。その後自分も礼拝会に入会し誓願をたて、同じように生きていく中で、「この生き方、思っていた以上にハードで尊い生き方」であることがわかってきて、「やっていけるかなあ?」と、ちょっと後悔したこともありました。そんな中、「教会や修道会は、とても冷静で寛大である」という事と「礼拝会に召された本当の理由」に気が付き、前だけをみて歩んでいこうと思う事が出来る場所へと心はおさまっていきました。
礼拝会の奉献生活の一幕を紹介します。ある地方の緊急一時保護施設で使徒活動をしていた時の事です。そこは単身の妊婦さんが何人も行政から送られてくる場所でした。単身の妊婦さんというだけでどれだけデリケートな状態かと思うのですが、私たちの所にこられる多くの方は、十代であったり、病気や障害をかかえていたりということがほとんどでした。そのような方々の出産に同伴して、夜中や明け方に病院へしばしば出向きました。本来であれば新しいお父さんやおばあちゃんの特権である、「生まれたての赤ちゃんを抱く」という神聖な場に遭遇し、イエスと一緒に抱かせてもらうという気持ちでその恵みにあずかりました。しかしその感動も冷めないうちに、苦労して産んだ赤ちゃんを乳児院に送り出したこともあります。命を守るための母子分離です。毎日が緊張の連続でした。そして、近くで、黙々と祈り、支えてくれていたのは共同体の姉妹でした。家族の絆が希薄になり、少子高齢化社会の中で地域福祉が叫ばれている中、修道共同体、教会共同体の強さ、優しさそして新しさに感謝しています。
今でも、月に数件、若い女性が誰にも言えずに出産し、子供の命が失われ、辛い思いをしたその女性も逮捕されてしまうというニュースをたびたび耳にします。まだまだ私たちは「創立者がしていたようにアウトリーチしていかなければならないのでは」という気持ちにかられます。しかしながら私たちの数は少なく、色々な事に疎いです。そして何より礼拝を大切にしたいと思っています。だからますますカリスマを多くの人とわかちあっていきたいです。一緒に祈り、共に働き、生活やいのちを分かち合う仲間が増えるように祈っています。