インスピレーション
「私がパリで買ったのと同じものを持っている少女が病院のベッドで横たわっている。なぜ?」女性としての尊厳を踏みにじられた結果、生きる希望を失っていた少女。ミカエラ(後の聖マリア・ミカエラ)の慈愛に満ちた奉仕が始まった。少女は少しづつ心を開いていった。『彼女のような人のため、住まいと仕事を何とかしたい。何をすればよいのか?」その挑戦に応えて、マドリッドードスアミーゴス街に寮を開いた。1856年には修道会として認可され、「聖体と愛徳のはしため礼拝修道女会」が生まれた。
ミカエラは、サクラメントという修道名を選び、走り続けた。その生涯の幕を閉じる1865年までに7つの家を開いた。その後スペインでは市民戦争で迫害の手が修道者たちに向けられた。最後まで聖体のイエスとともに23人のシスターは生き、銃殺の犠牲となった。それでもシスターたちはひるまず、南米へアジアへと広がり、1928年日本の地を踏んだ。「聖体のイエスへの愛を再創造する」(第29回総会決議)を心に、礼拝会の歩みは続いている
聖マリア・ミカエラ・デメシエーレス・イ・ロペス・デ・カスティージョは1809年1月1日にマドリッドで誕生し、同月4日にサンホセ教会で洗礼を受けました。貴族の出身で、細やかで信仰深い教育を受けました。若いころから、彼女の中には、エウカリスチアへの強い愛と困窮している人たちへの寛大な心が際立っていました。
社会的に虐げられた人たちの必要に対する深い思いは「神の聖ヨハネ病院の訪問」において実りました。そこで彼女は性感染症の病室を知り、虐待を受けた沢山の女性や若者との出会いの中で、搾取、孤独、放棄という深い闇を発見したのでした。ここで、病院を出た若者を受け入れ、彼女たちが人生をやり直すための家を開くという最初のインスピレーションが浮かんだのでした。1845年の4月21日、ある婦人会の支援を受けて施設を作り事業が開始しました。その事業は企画の段階で失敗しましたが、主は粘り強く、受難の中にもその道を示し続けたのでした。
1847年の聖霊降臨の日に、神秘的な恵みを彼女は受けたのでした。その時からエウカリスチアのキリストが彼女の霊的、使徒的主となり、少しずつその使徒的事業に彼女自身を捧げていくのでした。1850年から完全にその責任を引き受け、若い女性たちと共に生活するようになっていました。少女たちに教えるために協力して働いてくれる先生を探し彼女は「マドレ・サクラメント」と呼ばれるようになりました。彼女の生き方は、先生たちや、彼女の献身や寛大さを目にした若者たちにインパクトを与えました。1856年に教会の承認を得た最初のグループができ、創立者と共に新しいカリスマを生き始めたのでした。
彼女のエウカリスチア的生活は観想的な次元があり、それが売春やその他の社会的排除の重い問題を抱えた女性たちの解放の使徒活動を投影していました。エウカリスチアの中に現存しているイエスを礼拝する事を知ることは同時に、送られた女性たちの中に存在するイエスを見出すことなのです。「二つの様式で存在する唯一で同じ主なのです。」このように、礼拝と愛徳のはしため礼拝修道女会は、礼拝と解放のミッションに教会が応えるために生まれました。
ヴァレンシアでコレラが流行していた時、シスターたちや女性たちと共にいるために駆けつけ、1865年8月24日その人生は、時期尚早に刈り取られてしまいました。
彼女によって創立された7つの家が残されました。マドリッド、サラゴサ、ヴァレンシア、バルセロナ、ブルゴス、ピント、サンタンデール。
1934年3月4日に教皇ピオ11世によって列聖されました。今日その使徒職は23か国に広がっています。修道会の望みは、カリスマに再び命を吹き込み、現代に適合させながら、受けたカリスマを忠実につづける事です。エウカリスチアによって、社会が奴隷とした犠牲者である女性のために約束された使徒職の実を結ぶのです。
わたしたち、聖体と愛徳のはしため礼拝修道女会は、国際修道会です。現在、約1100名の会員がヨーロッパ、中南米、アジア、アフリカの23か国に存在しています。
会の創立者、聖マリア・ミカエラは1856年に聖霊に促されて、その時代の社会の緊急な要請であった「売春によって抑圧された女性の解放」に応えました。(会憲1)
今日もわたしたちは受けたカリスマに対して、忠誠と約束でもって応えたいと思っています。それは「エウカリスチアになること」つまり「割かれ分かち合われたパンそして、味がする葡萄酒」です。エウカリスチアの生活体験から、教会の中にわたしたちのミッションが生まれ育ちます。
私たちのミッションとは
礼拝すること・霊と真理をもってずっとエウカリスチアのイエスを礼拝する。(会憲2,10)
解放すること・売春によって疎外、搾取されている女性および他のさまざまな隷属の犠牲者たちの解放と向上に尽くす。(会憲2)ということです。